濃くて面白い映画だけの情報サイト

ジャンル:ドキュメンタリー
製作国:アメリカ
監督:フレデリック・ワイズマン
主演:ほか
先々週に観に行ってきた、フレデリック・ワイズマンの「チチカット・フォーリーズ」。 憧れているのにソフト化されていないからずっと観れなかったどころか、WEB上に予告編の欠片も落ちていなかった・・・それが1/31から2/14までシネマヴェーラにて「フレデリック・ワイズマン特集上映」が開催!!それを知って、一番観たかった1967年のデビュー作「チチカット・フォーリーズ」を初日に観てきた!!そして最高だった。映画を観た後にこんなに物事を考えたのは初めてだ!!

当日の劇場は人でごった返し、とにかくすごい盛況ぶり。さすが伝説のドキュメンタリー作家であるのと、これを見逃したらいつ観れるかわからないという貴重な機会を実感。だからちゃんとチケットが手に入ってちゃんと落ち着いて観れただけでも満足でした。

どんな面白さ?

「チチカット・フォーリーズ」は精神異常犯罪者を収容するマサチューセッツ州立矯正院での日常を描いたドキュメンタリー。噂では聞いていたけど本当にそうだった・・・。ナレーション、挿入歌、テロップはおろかインタビューすら一切出てこない。だから観る側は映像を観ながら自分で解釈・想像するしかないという、「観察」に徹底したドキュメンタリーはカッコいい。そして正直観ていて疲れます。

観終わってから帰りの道でも一生懸命考えて、自分なりの解釈を組み立てていくのは面白いです。疲れるけど。そして「あ!」と何かふと腹に落ちるものがあったとき、初めて「うぉ!観て良かった!」と思えた瞬間がありました。観ている間のスリルやドキドキ感や心地よさは「24」には絶対にかなわない。何よりも疲れる・・・でも観た後に何かがつながった時、自分が成長したような気分になれるこの自己満足。やっぱり観て良かった最高!でも6時間の長編「臨死」はとりあえず観なくていいや・・・さすがに長い・・・

そしてこういう類のドキュメンタリーはナレーションやインタビューの中に製作者側の意図があるのだと思うけど、この映画にはそれが一切無いので意図が読めない。とりあえず、何を感じてほしいのか、何を伝えたいのか、ワイズマンにもよくわからないらしい(笑)これは観ている側は結構不安になるものだと初めて思いました。個人ではなく社会を描いたドキュメンタリーって何かを「暴く」というものだと今まで思ってたから。

普段は外から見えない事柄を、内部に入って「ここではこんなにひどいことが行われている!」と暴いてくれるのは刺激的だし「そうだそうだ!これはヒドイ!」と同調するのは楽だし安心だしあまり考える必要もない。でもこの映画は、その「暴く」という意図が自分には全く感じられなかったのです。ひたすら内部を観察している感じで。だから何を感じるのが正解なのかわからなくて。でも間違いなく自分が何かを感じていて、それが正解なのかどうかがわからなくなって不安になってくるのかと。

もちろん「正解なんて無いんだよ」というのが正解でも、やっぱり「自分は正しい」と思いたい。それを確認したい。だから「暴く」という足掛かりを与えてくれないと不安になるのかと。 鑑賞後に買ったパンフレットには、この矯正院のことを「アウシュビッツさえも想起させる、非人間的な境遇」と書かれていたけど、むしろそれを読んでビックリ仰天したくらい、それが自分にはほとんど感じられなかったです。

自分が感じたのは、矯正院のシステムがイマイチ機能していないように見えたことと、患者たちの多くがごくまともな個性的な人たちに見えたこと。院内で一人で政治演説を行うダミ声の老人や、アメリカの政治批判を延々とする中年男性、「チャイナタウン」を楽しそうに歌う老人、「私は論理的で正常な人間だ」と教官に議論をふっかける若者も、皆言っていることがとてもまともで、それだけ見るととても異常者には見えなくて(政治の話はよく理解できなかったけど・・・)。

「私は論理的で正常な人間だ」と主張する若者は、自分が「異常あり」と診断されたことに対して、矯正院に説明を強く求めていました。

「「異常」「悪化している」とは何が基準になっているのか?ここに「評価テストの結果」とあるが、そもそも「評価テスト」なんていつどんな内容で実施したのか?まともな環境も仕事も何も与えられず、与えられたのは得体の知れない薬だけだ。それで「悪化している」というのであれば、ここの薬や環境が悪いのではないのか?だったら僕は今すぐにここを出るべきだ。それでも「お前が悪い」というのか?確かに僕は今感情的になってはいる。だが至って論理的な意見を言っているつもりだ」

おぉ・・・なんてまともな意見・・・そんな若者に対して、医者(と思しき人たち)はまともな回答ができずにモゴモゴとお茶を濁そうとするだけ。そして若者が部屋から出ていった途端に、医者(と思しき人たち)同士で「あれはヒドイ○×症だね」「被害妄想が酷くて感情コントロールができていないよ」と陰口のように弱弱しく批判するのを見ていても、やっぱり矯正院としてまともに機能しているように見えない。そして患者(少なくとも画面に現れた人たち)が至ってまともに見えてしまったという。

更に、政治批判をする中年男性の横で逆立ちをしながら歌を歌う謎の男性。よく聞いてみると、政治批判をする男性の言葉をそのまま即興で歌にしている!これ、天才じゃないの・・?!

そんなことを感じた後に、途端に強い不安を覚えました。というのも、一見まともで個性的に見える彼らが一体どんな犯罪を犯したのか、そういった背景も一切わからないから。その人たちが幼児殺人を犯したのか、それともほとんど言いがかり的な罪状で収監されているのか全く分からない。だからその人たちを「個性的で面白いね」と能天気に言うのは怖い。論理的な青年が、もし連続幼児殺人者だったら・・・与えられた環境に不満をぶつけて「環境と薬が悪い。オレは悪くない。今すぐにここから出してくれ」と主張すること自体が途端に異常に見えてくる・・・

この映画のオープニングでは、矯正院の患者たちが演芸会で「さあ、素敵なショーがはじまるよ」と歌うシーンから始まります。そして最後のシーンでまた演芸会で楽しく歌うシーンで幕を閉じる。「さあ、もうすぐお別れの時間だよ」。そして画面が暗転した後に一筋の字幕が。最初で最後のたった一文の説明文に全身に鳥肌が立ちました。もしかするとこの一文に大量の事実が入っているのかもしれません。わからないけど。

「この映画を撮影した後、マサチューセッツ州立矯正院はこの映画を公開する条件を提示してきた。その条件とは以下である。 ”「この映画の撮影の後、矯正院はシステムと環境の改善を行った」という説明文を映画内に入れること”」

※結局この映画は公開禁止処分を受けました。マサチューセッツ州から。制作の1967年から判決が覆る1991年まで。信じるか信じないかはあなた次第。

映画館・オフィシャルサイト情報など