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「フルートベール駅で」 9/17からDVDレンタル中の話題作を観ました。2009年元旦のアメリカ、新年を祝う22歳の黒人青年が、フルートベール駅で警官に射殺された実際に起きた事件を描いた映画。銃も持たず丸腰であったにも関わらず、理由なく殺されてしまった青年の、殺されるまでの1日を描いています。

目を引くのは、そのおびただしい受賞歴(一番下のポスター参照)と、7館の公開から1000館以上の公開へ自力拡大していった経緯と、27歳という監督の若さ。劇場公開時から気になっていたのにもかかわらず、ポスターの「全米が泣いた」というキャッチフレーズがどうにも気に入らず、でもやっぱり気になるのでDVD化を待って観ることにしていました。

退屈しないこと

この映画を観ながら「スゴイ」と感じたのが、ごくありふれた青年の日常的な一日を描いているのに、観ていて全く退屈しないところ。主人公オスカーが仕事をクビになって「生活はどうするの?!」と恋人ソフィーナに怒られたり、生活の為に売りさばこうと思っていた麻薬を意を決して海に捨てたり、小さな娘を託児所に迎えに行き娘と徒競争する姿、ふざけて車の屋根に上って「屋根がヘコむ」と怒られたり。射殺事件を社会問題としてフォーカスするわけでもなく、警官を批判するわけでもなく、ただひたすらオスカーという、麻薬に絡む犯罪で服役した経験もあるすこしデキの悪く、人の良い青年の日常にフォーカスしているところに好感が持てました。

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監督のインタビューでは

「事件はセンセーショナルだったから、事件は公になっていたけど、オスカーがどんな青年だったか?という背景の記述が抜けていた。それはセンセーショナルな話題ではないけど、この映画を観ている人たちと何ら変わりのない、様々な面を持つイイ奴だったオスカーに共感してほしかった」

という言葉通りの内容でした。

同じように何でもない「日常」を描いているのに退屈な映画と引き込まれる映画に分かれるのはなぜか・・・?両者にはどんな違いがあるのか・・・?何が決定打となって「退屈」と「面白い」を分けているのか?以前にもこんな疑問を持ったことがあったので、映画の中に没入しながら、昔に映像作家と交わした会話を思い出していました。その作家によると

「何が決定打になっているのか?それは自分にもわからない。役者の演技やセリフの言い回しや映像等がトータルに関係していて、”ポイント”となるものが良くわからない。だから難しいし、そういう映像を撮れる人はすごいと思う。」

こんな会話を思い出しました。でも、この映画の場合は決定的な条件が一つだけあった。それは「この日の最後に、この若い実在の青年は死んでしまう」という事実を観ている方は知っていることです。だから観ている方は常に「死」を意識しながら観ることになる。通常は死ぬか、生き延びるかを事前に知らせずに物語を展開していくのが、この映画では「死ぬ」ことがわかっている。だから一つ一つのシーンが退屈では無い大事なものに感じられたのかもしれません。このことは自分の日常が嫌になった時に思い出せば少しでも退屈ではないと感じられるようになるかも。 poster2 (1)